奈良県立医科大学 医学部医学科同窓会

お知らせ

厳橿80号の発刊に際して 高橋優三会長のメッセージ

同窓会会長 高 橋 優 三 (昭和49年卒)

私達の母校、奈良医大は来年、創立80周年を迎えます。

先人の不断の努 力で、母校は中堅の医学部としての地位を固めています。入学して来た若 者を責任ある医療を行える医師として世に出し、社会からの信託に応える 事こそ、医科大学の使命であります。さらに、周囲の専門家から特段の言 葉を持って評価されるような卓越人材が奈良医大出身である例に、皆様方 は頻回に接しておられると思います。その意味でも、私達卒業生は母校に 誇りを持つものであります。 その奈良医大がこれまでに歩んで来た道のりは、決して平坦ではないです。昭和30年代の終わりころ、国立大学への移管が選択肢の一つになる程の苦境があり、それも 不調に終わった事は母校の歴史の節目でした。歴史に「もし」や「たら」は無意味ですが、もし あの時、国立に移管されていたら、どうなったのでしょうか?

文部科学省は、国立大学医学部を旧帝大、特別扱い、旧六、新八、その他、新設医大に階級分 けしています。この階級は予算配分等に厳密に適用され、必然的に各大学の格が決まります。旧 帝大とは東大など7校です。旧六とは岡山大など戦前から医科大学であった大学です。旧帝大と 旧六の間に特別扱いとして、東京医科歯科大と筑波大があります。最近になってこの階級に神戸 大と広島大が加わりました。新八とは、戦争中の臨時医専で戦後廃止にならなかった医専を、各 県に作られた新設大学に医学部として組み入れたもので、鳥取大など8校(現在は広島大が抜け て7校)があります。それに十数年遅れ、昭和30年代の終わりに国立に移管された医学部が、そ の他と分類され、岐阜大など4校(現在は神戸大が抜けて3校)です。もし奈良医大が国立移管 されていたら、この階級に分類されるはずでした。結局、国立移管される事なく、県立として歩 む苦難の道を選びましたが、今日の私達が目にする繁栄を迎えています。

それから60年経った現在、新八以下の国立大学医学部は、運営交付金の減額で難しい事態に直 面しています。あの時国立移管された方が良かったのか、されなかった方が良かったのか、一概 に言えない状況になりました。 運命とは、人の運命も大学の運命も、あまりにも皮肉で「わからないもの」と言わざるを得ま せん。母校の先生方は、運命に見放されても刹那的な気持ちにならず、社会から与えられた自分 の職務に誠心誠意、全力を尽くす事を継続したからこそ、現在の奈良医大の隆盛に繋がりまし た。創立80周年を次年度に控えた今日、関係者の皆様方の努力に敬意と謝意を表しますと共に、 同窓会が果たすべき役割を模索いたしております。